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500年の歴史に支えられた伝統工芸
 「人形の街・岩槻」
 さいたま市岩槻区は古くから人形の街として裕に名高い。岩槻は今から550年前、太田道潅(江戸城築城の任となった)が関八州の北の砦としてこの地に岩槻城(別名:白鶴城)を築いてから、奥州、北陸道に通ずる宿場町、城下町として栄えた町です。やがて江戸時代には、岩槻の市街を貫く岩槻街道が”日光御成街道”として将軍の日光参拝の通行路となった(岩槻人形組合冊子より)2005年4月1日に旧岩槻市からさいたま市岩槻区となった。「岩槻人形」は「うなぎ」「盆栽」に次ぐ、さいたま市の3つの伝統産業として指定されている。
 さいたま市は県全体の約10%の人口を有し、いわゆる人口密集型になっているのだが同じさいたま市にあっても中々伝統工芸品としての認知度は高いと云えない。そこで岩槻人形協同組合・専務理事 伴戸武三氏に人形の町としての岩槻を取材させていただいた。<一般的には人形店の多い町と観ているのだが?>「岩槻人形はメーカー、小売業含め約80軒ほどの店舗が有るが浅草橋(都内)の様な大手販売店とは違い例えば人形の頭だけ、胴体のみ、小道具専門、衣装とそれぞれ専門部分を分業化しており、町が集合体となっている職人の町です」<職人といえば後継者問題は?>「どんな職種でも後継者問題はあるとおもうが岩槻人形は以前から、地元小・中学校では伝統工芸師による授業が行われており、多くの子供達が人形造りに興味を示しているのは確かです。
 また、国の伝統工芸品に指定(2007年)されて以来、全国から人形造り研修会に参加する人が多くなり、今では若い人を育てる環境に有ります」<今後、岩槻人形はどのような方向を目指すのか?>「日本文化としての地域ブランドからジャパンブランドを目指していく上で、今は人形会館創立に力を注いでいる」今回、伝統工芸「岩槻人形」の取材をし改めて日本文化の奥の広さを思った。それと、日常では体験出来ない人形造りを授業として体験できる地元岩槻の子供達に羨ましさも感じたり・・さいたま市のみならず県全域の子供達に遠足でもいい、一度は人形造りの体験をさせてみるのも・・それが日本の文化の一端を学ぶことにつながる。

岩槻人形協同組合 専務理事伴戸武三氏

岩槻雛人形

雛人形

男雛と女雛

切目込み人形の胴体のみ

切目込みの女雛の原型

何色かの生地を組み合わせる

十二単の組み合わせ部分を細分化

布を切り込みに合わせてめり込む

細かい部分も調節

再度合わせていく

伝統工芸士・新井久夫氏 創作

髪型を調節

全体のバランスをチェック

髪の長さを調節

伝統工芸士・井野守也氏 創作

頭をメイクする

物言わぬ頭に魂を入れる

魂を待つ

匠は頭だけに留まらず

右下の一円玉との比較で大きさを測る